平成29年度第2回親子勉強会のご報告

【テーマ】

①インクルーシブ教育とは

②インクルーシブ教育システム構築に関する動向

③合理的配慮と基礎的環境整備の関係

④難聴児への合理的配慮とは

⑤聴覚補償と情報保障の違い

⑥情報保障の手段

⑦要約筆記の「要約」って何?

⑧自動音声文字変換アプリって何?

⑨モバイル型遠隔情報保障システムとは

⑩モバイル型遠隔情報保証システムの利用手順

⑪平等と公平の違い

⑫セルフアドボカシーを磨こう


 インクルーシブ教育の本質は障がいうんぬんではない。一人ひとり誰もが違うことを前提とした教育です。だからインクルーシブ教育を考える時、障がいのある子が困らないように、と考えるのではなく、「誰もが違うことを前提」として教育の在り方そのものを考えていく必要があります。

共生社会を実現する為に最も必要なことは、教師や子どもたちがいかに多様性に関する感覚を身につけていくか、ということです。今後日本でもグローバル化が進み、様々な国籍や文化、考え方を持つ人と共に生きていくことになります。お互いが理解し合うためには、相手の立場でものを考えるということが、とても大切になります。


 平成18年12月国連総会本会議において「障害者の権利に関する条約」が採択されました。この条約は障害者の権利および尊厳を保護・促進するための包括的かつ総合的な国際条約です。この中で、教育については第24条に規定されていて、この条約が求めるインクーシブ教育システムについて、障がいのある者が一般的な教育制度から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育(小学校から高等学校まで)の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供されることなどが必要とされています。

 日本ではこの条約の批准に向けた推進を進めるために、平成21年2月「障害者制度改革推進会議」が設置されました。同じ年の7月には、文科省からの審議要請を受けて、中央教育審議委員会初等中等教育分科会に「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」を設置し、様々な議論を重ねてきました。

 平成23年8月「障害者基本法」の一部を改正する法律が施行され、国や自治体は障がい者が十分な教育を受けられるようにするため、可能な限り障がい者である子どもが障がい者ではない子どもと共に教育を受けられるよう配慮しなければならなし等の「就学に関連」する規定が定められました。

 平成24年7月「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」という中央教育審議会初等中等教育分科会による報告が取りまとめられました。

 平成25年9月「学校教育法施行令」の一部が改正(就学関連)され、平成26年1月に国会において「障害者権利条約」が批准されました。日本の教育が本格的にインクルーシブに向かっていくのはここからです。

「障害者の権利に関する条約」外務省のHP


 この図を見て分かるように、基礎的環境整備の上に、個々の合理的配慮が乗っかっています。インクルーシブの実現に向けて、国や地方自治体など、行政機関が主体となって行うべきことのひとつに、多様な子どもたちが学ぶための基礎的な環境を整備することが必要になります。

 例えば、車椅子の子どもには、学校にスロープや手すりやエレベーターの設置などが求められます。また、専門性のある支援体制とか、教員の育成、個別支援計画なども基礎的環境整備です。難聴の子どもの場合で言えば、情報保障に特化した支援員の配置とか、教室の机と椅子にテニスボールをつけてもらうとか、英語のリスニングテストを受けるための別室を用意してもらうとか、コミューンやミライスピーカーを用意してもらうことなんかも基礎的環境整備の中に入ります。こうした土台の上に、合理的配慮があります。


 「合理的配慮」というのは、一人ひとりの特性や場面に応じて、困難さを取り除くための、一人ひとりに合わせた「調整」や「変更」のことです。文科省も障がいのある子どもが、他の子どもと平等に「教育を受ける権利」を確保するために必要な「配慮」だと言っている割に、教育の現場では「平等」という言葉だけが独り歩きして「できない」「不公平」とかいう断り文句になっている場合もあります。リスニングテストで放送の音が聞こえないから別室で受けさせて欲しいと訴えても、教員が足りないからとか言う理由で難色を示される場合もあります。一人だけ違った待遇をすることに、まだ現場が慣れていないこともありますが、障がいの状態に合った「合理的配慮」によって、公平な判断基準で物ごとを考える時代になってきていることを、もっと知ってもらう必要があるでしょう。

 例に取ると、センター試験では聴力によって特例措置が受けられます。両耳の平均聴力レベルが60デシベル以上の重度難聴者はリスニングを免除してもらえたり、試験官の説明内容を紙面で受け取ることができます。特例措置を受けるためには医師の診断書と、在籍している学校でこの生徒はずっとこんな配慮を受けてきましたよ、という報告書が必要になります。こうした書類が揃えば、センター試験で不利にならずに済むわけです。こうした配慮は、英検やTOEICにもあります。この部分は、インクルーシブではなく障害者差別解消法に関わってくると思います。

 高校の入試も同じです。障がいの状況に合わせた配慮は公立高校では義務としてやらなければいけなくなりました。私立の場合は「努力義務」なので、申請書が通りやすいのは公立ということになるかもしれません。


 文科省も研究チームを作って、こんな報告をホームページに載せています。これは発達障がいの事例ですが、聴覚障害についても、別室で読み上げ、もしくはリスニングテストの免除は可能だと思います。ただし、これらの配慮はあくまでも「これまで在籍していた中学校で実際にこんな配慮をしてもらっている」という実績をもとに考えられる措置なので、いきなり入試のときだけ「これでやって下さい」と言っても駄目なわけです。高校入試、大学入試を見据えて、普段から必要な配慮を在籍する学校でやってもらっていないと意味が無いわけです。学校に試験での配慮を求める場合、入試をシュミレートして計画的にお願いをしていく必要があります。


 難聴児への合理的配慮にはどのようなものが考えられるでしょうか?聴力や年齢、経験値等によって必要な配慮は人それぞれに違います。ここにあげたのはほんの一例で、うちの子はここまでしなくても大丈夫という場合もあるでしょうし、うちの子はこれだけでは難しい、という場合もあると思います。

 聴覚障害は情報を受け取りにくいというハンデがあるので、アクセシビリティを高めるという意味では板書を増やしたり、プリントで手渡すというのは有効な手段です。

 基礎的環境整備は国とか地方自治体など、行政機関が主体となって学校に整備することなので、対学校というよりも対行政になると思いますが、合理的配慮は学校側が個々の特性に応じて必要な配慮を考えて実行することなので、保護者は行政へというよりも、直接学校へ訴えていかなければなりません。ただし、お金のかかること・・・例えば今回うちの会で市に要望した「モバイル型遠隔情報保障システム」とか「ノートテイク」などは、ここでは人件費が重くのしかかりますが、そういったものは、学校で判断する権限がなく、教育委員会がうんと首を縦にふらないとなかなかできない、ということはあるようです。とうわけで、個人的にお願いできない所というのは、親子の会という団体で行政に交渉していきます。


 たまに、「ロジャーをしているのに、なんで情報保障が必要なんですか?」と聞かれます。そういった時に、しっかりと答えられるようにしておかなければいけません。ロジャーは先生の声はよく聞こえるけれど、じゃあ、それらをすべて確実に聞き取れているか、というとそうではありません。聞き漏らしがあったり、聞こえなかったり、そうして抜け落ちた情報を、文字で補えば、今よりももっと授業の内容が分かるという配慮です。あと、情報という意味では、子どもたちに必要なのは先生の声だけではありません。クラスメイトの発言内容だったり、授業から逸れた雑談だったり、教科書を頼りに授業を受けている生徒にとって、突然教科書から逸れた話題が始まると、混乱したり戸惑ったりするわけです。話の脈絡というか、筋書き通りに話って進まないので、本来は話の前後関係までしっかり分かっていないとなかなか話の内容を理解できない聴覚障害児にとって、「突然」の話の切り替えはとても苦手なのです。でもそこに文字情報があれば、「あれ?今話が変わったのかな?」と気付けるかもしれません。授業のテンポは結構速いので、それに聴くことがついていけなくなると、どんどんわからなくなりますが、聴くことだけに頼らず、文字という情報あることで、聴覚障害のある生徒でもクラスのそういうテンポについていくことは可能になるかもしれません。

 「聴覚補償」は残された聴力を最大限使うために、道具を使ったり配慮をしてもらうことをいいます。そうやってなんとか聞こえにくさをカバーして日常生活を送ることを言います。ですので、効果は一人ひとり違い、これだけで十分授業についていける子もいれば、これだけでは足りない子もいて当然です。周りの人は忘れがちですが、人工内耳や補聴器をしていても、私達のように完全に聞こえるようにはなりません。障がい者には変わりはないということです。見た目にわかりにくいというのは、理解されにくいという二重のハンデにもなります。多くの子どもは、この聴覚補償のみで普通学級で頑張ってやっていると思います。


 もうひとつの「保障」が「情報保障」です。なんで情報保障が必要なのかというと、聞くことに大きなハンデを持っている子どもたちにとって、授業中の、もっと大きなことを言うと世の中全ての情報を「聞くこと」だけでキャッチすることは不可能だということです。必要な情報を取得できないとどうなるか・・・勉強だったらどんどんわからなくなりますよね。もうこれは努力だけではどうしようもないことです。だから障がいなんです。本人が自分で獲得できない情報は、周囲が「保障」してあげないとどうしようもないわけです。人間には「知る権利」がありますから、本人が知りたいと言えば、それを無視することはできませんが、そのためには、子どもたちに直接対応する周囲の人々、学校の先生だと思いますが、その周囲の人々の理解がなければ難しいのが現実です。

 日頃からの学校との関係とか、担任との信頼関係などがとても大切になってきます。


 ノートテイクというのは、難聴者の隣に座り、授業内容を手書きやパソコンで同時文字通訳することを言います。先生の雑談も、他の生徒のやりとりも、なるべく書くようにします。しかし、実際には話す速度に手書きは追いつかないので、先生の話を全部書くことは不可能です。ですので、内容をこわさないように短い文で書きます。先生の言いたいことのポイントを絞って的確に通訳できなければなりません。大学などでは1つの講義が長いので、2人で交代しながらノートテイクをしているようです。

 要約筆記もノートテイクのように手書きの方法やパソコンを使ったパソコン要約筆記があります。要約筆記には要約のルールが決まっていて、専門知識を持った資格のある人が行います。三島では「要約筆記者派遣事業」があり、希望すれば通訳者を市が派遣していくれます。

 全体投影は、講演会や観劇など、学校だと体育館行事のときに、前にスクリーンをおいて、そこにパソコンで文字通訳をする方法です。

 自動音声文字変換アプリというのは「UDトーク」などの人工知能によって、人の声を自動で文字に変換するアプリのことです。そしてモバイル型遠隔情報保障システムです。


 モバイル型遠隔情報保障システムは、話し手(先生)の声を電話回線をつかって遠隔地にいる通訳者に送り、通訳者は受け取った音声情報をパソコンを使って文字に起こし、文字になった情報をインターネット回線を経由して利用者(生徒)の手元にあるモバイル機器(スマートフォンやタブレット)に表示させるシステムのことをいいます。このシステムのメリットは以下の通りです。

 

・通訳者が教室にいないので、生徒の心理的負担が減る

・手書きよりも、多くの情報が獲得できる

・通訳者の移動時間が必要なくなる

・通訳者への交通費や参加費や入場料などの金銭的負担がない

・場所を選ばない(移動中のバスの中でも利用可)  等々




 これから何かをお願いしていく時に「平等」という言葉で断られたり、難色を示されたりすることがあるかもしれません。教育現場では「平等」は必要なことですが、その前にまず「公平」でないと、本当の意味での「平等」は実現できません。この「公平」の考え方が、まだ世の中に浸透していないと感じます。

 「平等」は自由とともに民主主義社会を作る重要な考え方です。しかし、「公正取引委員会」という組織があるように、似ているように感じながらも少し違う使われ方をする「公平」という言葉も存在します。このふたつ、ぼんやりと同じことを言っているようにみえて、実は大きな違いがあります。例えば地方自治体が誰かに対して補助を行う場合、平等に行うのと公平に行うのとでは全く違う結果になります。それを表しているのがこの絵です。

 左の絵が「平等」、右の絵が「公平」です。「平等」は、それぞれの状況にかえりみず、全員に対して同じ待遇を施し、結果として野球を見られない人がいます。しかし「公平」では、それぞれの状況に応じて待遇を変え、全員が野球の試合を見られるようになっています。つまり「平等」は「公正さ」を重んじるばかりに全員に同じものを与える考え方です。しかしそれが正常に機能するのは、全員のスタート地点が同じ場合に限られます。この場合で言えば、全員が同じ身長であれば何も問題はないわけです。「公平」というのは、人々を同じ機会へと導くもので、個々の状況というのはそれぞれ違うので、まず最初に公正さが担保されて、はじめて「平等」を得ることが出来る、という考え方です。この子どもたちが乗っている木箱が、インクルーシブ教育でいうところの「基礎的環境整備」であり「合理的配慮」です

 話は戻りますが、中学校のリスニングテスト。同じ条件で試験を受けたら、野球の試合など見えるはずはありません。ましてや木箱を取り上げられたら、もうこれは「不公平」になります。なんでこの子だけ木箱が多いんだ、そんなの差別だ、平等じゃない!とか言っている人には、この壁が見えていないだけなのです。難聴児の前に立ちはだかる壁は、「聞こえにくい」ということです。そんなの想像力を働かせれば分かるはずなのに、なかなか分かってもらえません。「別室」とか「読み上げ」とかその生徒に必要な木箱が設置されてはじめて、他の生徒と平等に試験が受けられるのです。

 成績というのは「全員が野球の試合を見られて」初めて「平等」につけるものです。これから、そういうことがありましたら、ぜひこの絵を使って説明してみて下さい。


 自分の力で「公平」を求めることが、セルフアドボカシーです。そのためには、まずは己を知ることです。自分はどんなことに困るのか、どうしたらそれが改善されるのか、自分はこうしてもらえたらできる、ということを自分で知っておくことが必要です。そのためには社会のこと、権利のこと、世の中の仕組みを知らないといけないし、コミュニケーション技術も磨かないといけませんね。与えられたものに依存しているばかりではなく、障がいのある子どもは、同時に個人的なゴールを設定し、自分のために選択し、決定できる大人として扱われる機会を与えられるということはとても重要です。特に大学生くらいになると、自分のためにアドボカシーすることを求められる機会も増えてきますので、その前の段階、つまり小さいうちから少しずつセルフアドボカシーのトレーニングをすることはとても大切だと聞いています。セルフアドボカシーが必要になるのは通常高校を卒業してから。でも、高校を卒業した途端にそのスキルが身につくわけではないので、それ以前からずっと準備をしておく必要がありますね。また今後の勉強会でも、取り上げていきたいと思います。