完全とは?

息子が生まれてから毎日ずっと日記を書き続けています。もうすぐ6年目に突入かと思うと早かったような、長かったような。ずっと読み返していくと、その時の情景が昨日のことのように思い出されます。3年前の今日の日記には、息子の難聴原因がわかった時の気持ちが書かれてあり、今思うと、ここで気持ちが随分整理されて、そして今に至るなぁと感じました。

 

息子の難聴は「GJB2Connexin26変異による難聴を伴う掌蹠角化症」です。難聴だけだと思っていたのですが、実は難病指定の皮膚疾患もあったということで驚いたのですが、いろいろ思い当たることもあり、そうだったのか・・・と妙に納得したのを覚えています。

 

難聴の原因が判ったのは「たまたま」でした。

息子の足裏にできたホクロの検査で訪れた都内の大学病院で、人工内耳をしている息子に興味をもった医師から遺伝子検査をしてみないか?と薦められたのがきっかけでした。それ以前に耳鼻科で受けた難聴の遺伝子検査ではGJB2がヘテロということだけが判り、遺伝子の突然変異というだけで詳しいことはわかりませんでした。耳鼻科と皮膚科では取り扱うターゲットが違うからこその結果ではありますが、たまたま症候群性難聴を研究している医師に出会ったことは幸運だったと思います。

 

何十兆個の細胞を形成している分子のたまたまひとつが変異したことによって息子は耳が聞こえないのですが、すべて「完全」で生まれてこられることのほうがむしろ奇跡で、それはありえない話です。皆どこかに「不具合」を持ちながら、それが表面に出やすいか出にくいかだけなのかもしれない。

 

そして思ったこと。

 

人は生まれながらにして遺伝的に不平等であるということ。100万以上の多型があるのですから、平等な訳がありません。イデオロギーとしての平等はあり得ても、現実には遺伝的に不平等です。その事実に目を背けず、結果を十分にふまえれば、遺伝的多型を「多様性(個性)」と認識するか、あるいは「正常」と「異常」に色分けするかによって考え方が大きく変わると思います。完全な人がいないのと同じで、完全な遺伝子というものも存在はせず。そもそも「完全」とはどういうことを言うのでしょうか?

 

それまで障がいを「個性」だと言う人たちを十分に理解できませんでしたが、確かに「個性」なのかもしれない。耳が聞こえないという強烈な個性を持って生まれた息子に対して、自分はなんと凡庸な母親だろう。互いの違いを認め合えたならば、「障がい」という言葉は生まれてこないのかもしれない。

 

人は誰もが唯一無二の存在で、他と比べようもない「個」なのだから。